一生傷
子供の頃の私はよく転ぶ子だった。三半規管が未発達なことに加えて運動神経のなさとバランス感覚の欠如が災いして、ちょっとでも走ったりするとすっころんだ。小学生の体育の時間にグラウンドで走って転んだとき、小さな石の混じった地面に叩きつけられひどく膝を擦りむいた。半ズボンで剥き出しになった素足の上で砂が血で固まり泥になっていた。慌てて先生におぶられ保健室に連れていかれ、すばやく手当てをうけた。水道で傷口の砂を洗い、しみる消毒液を吹き付けられ、大げさなほどでかい絆創膏を貼られた。
「跡が残るかもしれないね」と保健室の先生は言った。続けて、「でも顔はなんともなくてよかった」とも言った。
「どうしてですか?」と私はきいた。保健室の先生は四十代ほどの女性教諭で、優しいけれど気の弱そうな笑顔を浮かべる人だった。
「顔は目立っちゃうからね。女の子で顔の傷は苦しくなるわよ」
「私は気にしません。もともと顔はよくないし、結婚にも興味がないのでモテなくてもいいです」
女教諭は困ったように微笑んだ。「いまは平気でも、我慢できないときが来るかもしれない。世界中の鏡を割って、だれとも会わないようにしても、忘れられない。傷を一番見ているのは自分の目よ。自分で自分を許せなくなるの」
彼女はしゃべりすぎたと思ったのか、その後は事務的に処置をこなした。私の膝の傷はしっかり痕となり、慰霊碑のようにその時の怪我を記録している。傍目にはわからないような小さな一生傷だが、誰の目にも触れさせないようにスカートや丈の短いズボンを穿かないようにしていた。前からスカートは好きではないので不都合を感じたこともない。
小学校の保健室の先生との会話を私はたびたび思い出した。私は膝の傷のことを一時も忘れることはできなかった。楽しいできごとがあっても頭の片隅には傷がいた。それで気が重くなるということもない。ただ私の見る景色にはすべて傷が含まれているということだ。そして、私の近くには傷を持った子供がいる。
彼は私の子供ではない。彼には親はいない。正確にいうなら、彼はこの世に親を持たず、同時に国中の全員が彼の親である。
人工授精で作られた最初のこども。これまでにも体外受精で人為的に着床された子供はいたし珍しいものではなかったが、彼が画期的だったのは人工の精子と人工の卵子の組み合わせで産まれた子供だということだ。研究段階では私たちのチームは彼をサンプル1号と呼んでいた。マスコミたちがこの研究に目をつけ報道すると、少しの間世間のブームとなった。人口が減少するこの国のための研究だが、世の人は既存の倫理観を持ちだして我々を非難した。私はというと、研究チームに入ったころは下っ端で研究の全貌を見渡せるような能力はなく、この実験も一種の思考実験のようなものだと思っていた。
実際に産まれてきた子は、なんの変哲もない普通の男の子だった。私たちはその結果にある種の畏怖を感じた。あまりにも普通だったのだ。身体的に障害もなく、五体満足に生まれてきた。言い方は悪いが試作品を作るつもりで行った実験で、完璧なものができてしまったのだ。
彼の名前は国立創(くにたち つくる)と名付けられた。創には国籍が与えられ、出生はどうであれ正式な国民となった。産まれた彼の姿はメディアに公開されなかった。誰もが言いたいことを口にせず、黙っていた。それは言葉にしてしまうと取り返しのつかないものだったのだ。
私は彼の世話係となった。成長につれて自然な人間との違いが生じるかの観測という名目だったが、彼にはなんの問題もなかった。私には子育ての経験はないが、創は同年代の子よりも手のかからない赤子だった。一般的な成長段階より発達がよく、数年が経つとただの賢い子供でしかなかった。
創に問題がないとわかるとサンプル2号、サンプル3号と次々に子供を産み出した。研究施設のなかに養育施設ができ、そこで子供たちに授業を教えるようになった。創に弟や妹ができ、穏やかな暮らしぶりをみせはじめた。
創が八歳で、後続の子供たちが六歳になったときに、課外活動として遠足にいった。子供たちが施設の外に出るのは初めてだった。いずれは社会に出すので、その慣らし訓練も兼ていた。
向かったのは博物館だった。
こどもたちは施設の外の景色にはしゃいでいた。創は恐竜の骨の展示に興奮していた。創は施設の中では図鑑をよく眺めていた。なかでも恐竜の図鑑がお気に入りだった。だからこそ、ここに連れてきたかったのだ。
私はあくまで研究員であり、教育者ではなかった。こどもたちをこういう場に連れてくるというのがどういうことかわかっていなかった。
私も自分で展示物を見ていると、こどもたちの叫び声が聞こえた。声の出所へ向かうと、恐竜の骨の展示の前に大きな階段があり、その階段の下で人だかりができていた。人だかりの中心には創がいた。
創が足を滑られ階段から落ちていた。遠足は中止になり、急いで全員を施設に戻した。創は怪我はしていたが骨折もなく放って置いても自然に治癒する程度の軽傷だった。
しかし、顔の側頭部に大きな怪我があった。皮ががっつり擦りむいている。これだけの怪我だ。きっと一生の傷になるだろう。
「痕が残っちゃうわね」
つい自分の口からこぼれ出た。私が子供の頃に言われたのと同じ台詞だ。創はきょとんとしている。まだこの意味を理解できていないのだ。
創は二年後の十歳になったときに社会に放り出される。口の悪い研究員はそれを出荷と呼んでいる。とにかく創は"はじめの"こどもとして注目を浴びるだろう。そのときに傷がある顔で出て行くと、謂われもない言葉を投げかけられるだろう。
「先生? ぼくもういたくないよ?」創が言う。私が深刻な顔をしていたのを気にしたのだろう。この子は人の顔色を読む傾向がある。その感受性がこの子を傷つけませんように。
「ごめんね」と私は言った。創はまたきょとんとしていた。君にはまだまだ分からないことがたくさんある。せめてもう少し、君の目には外の世界を映さないままで目隠ししておきたいと思う。私のすべての祈りを込めて、創のすべてを抱きしめた。