スカイ・ロック・ザ・ゲート

 数年ぶりにこの町に戻ってくると、ウスキ君のことを思い出した。
 ウスキ、にどんな漢字を当てるのか私は知らない。そもそも本当に彼の名前がウスキであったのかも定かではない。私が所持しているウスキ君の情報は極僅かで、それすらも時間の経過によって少しずつ風化されている。顔も思い出せず、ただ記憶にあるのはウスキ君という名前と彼と過ごした一時の思い出だけだ。


 ウスキ君は梅雨の中のある雨の日に、突然私の前に姿を現した。確かあの日も私は泣いていた。泣いても泣いても涙が出てきて、何が悲しいのかも分からなくなってそれでも泣いていた。通っていた小学校には仲の良い友人がいて、みんなで遊んで、授業を受けて、そんな平穏を過ごす時はとても楽しかった。しかし、放課後、帰路に就くと、とたんに悲しみが押し寄せてきた。家に帰るのが嫌になり、一人で作った秘密基地に逃げ込み、そこで暗くなるまで泣き続ける。それがあの頃の私の毎日だった。
 ウスキ君は私を見つけ、キョトンとしていた。私もいきなりの侵入者に、驚きと泣き顔を見られた恥ずかしさでどう対処すればいいのか分からなかった。二人して向かい合ったまま、言葉を発することが出来ずにいた。沈黙を埋めるように雨音がボリュームを上げる。やがて、ウスキ君から口を開いた。
「どうして、泣いてるの?」
 柔らかく、絹の蒲団を撫でるような声。それが私が初めて聞いたウスキ君の声だった。


 秘密基地は秘密というだけあって、簡単には見つからないような場所に作っていた。帰り道の途中に大きな楠がある。その楠を目印に道を外れて森の奥へ入っていくと、洞があった。子供が二人入っても大丈夫だが、三人入ると狭い。それくらいの大きさの洞だった。私はその洞にお手製の旗を立て、お気に入りのぬいぐるみを置き、秘密基地とした。そこは世界で私しか知らない場所であり、世界を嫌になった時に駆け込める唯一の逃げ場となった。
 ウスキ君は雨宿りが出来る場所を求めて、この洞を見つけたらしい。そこで私に出会った。ウスキ君は私と同じくらいの歳で、でも面識がない子だった。同じ小学校に通っているなら顔は分かるはずだし、この辺りの子供で知らない子がいるとは考えにくかった。しかし、そんなことは後になってから思いついたことで、その時の私は不思議と彼の存在を無条件で受け入れていた。雨の降る森の中、私と、ウスキ君がいる。それはとてもまともなことのように思えて、何物にも壊されることのない完結性があった。
 ウスキ君とは初めて会ったのに、素直に話をすることができた。取り留めもなく、堰を切ったように私はウスキ君に胸の内を打ち明けた。そうすることがその時の私には必要である気がしていた。彼は静かに話を聞いていた。私の長い話が終わると、彼は私に玉をくれた。
「これはなに?」渡された赤と青の二つの玉を見つめながら、尋ねる。
「これはお守りだよ」とウスキ君は言う。
「お守り?」
「そう。辛いことや悲しいことは、このお守りに代わりに引き受けて貰うんだ。君が全てを引き受ける必要はないんだよ」
 玉は握るとほんのりと温かかった。


 それがウスキ君との思い出だった。
 ウスキ君と出会った後に何回か秘密基地に通ったが、もうウスキ君と会うことはなかった。それからすぐに私は母と遠くの町に越してしまい、彼とはそれきりだった。
 数年ぶりに戻ってきたこの町は、あの頃と何も変わってないように思えた。記憶の頃のまま、時間が止まり続けていたみたいだ。きっと、私も同じように止まり続けているのだろう。
 私は鍵のかかった扉を開けるように、自分の過去と向き合うためにここに戻ってきたのだ。あのころと決別し、新しい一歩を踏み出すために。
 赤い玉を握り、心の中で呟く。大丈夫だよね。
 それに応えるように追い風が吹き、私は髪を押さえながら振り返った。 

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