イントロバート
物置の奥で忘れさられたバットを見つけた。子供用の小さいバットで、握ってみると記憶していたよりずっと軽い。埃にまみれているが、長い間放置されていたにしては状態が良く、今でも十分使えそうだった。微かに見えるグリップの傷は、いつかの僕がつけたものだ。
小学校に上がって三回目の誕生日に買ってもらったバット。野球選手のサイン入りだとか特別なものじゃなく、どこにでもある普通のバット。でも、当時の僕にはとても大事なものだったはずだ。それなのに、いつからか大事じゃなくなって、こうやって物置で埃を被っている。大事だったはずなのに。
最後にこのバットを握ったのは、小学生で最後の春休みだった。
在籍していた野球チームで僕は補欠メンバーで、その日の試合も僕の出番はないはずだった。だけど、レギュラーの一人が病気で欠場して、突然僕が出場することになった。
今までスタメンとして試合に出たことはなかったけれど、練習はしっかりしてきたから打てると思っていた。けれど、三回周ってきた打順で、僕は一度もボールを飛ばすことはできなかった。弱弱しいスイングが空を切る音。ボールが磁石のようにキャッチャーミットに収まる音。そして、握ったバットが腕から零れ落ちる音を、他人事のように聞いていた。
その日、僕は物置に逃げ込み、このバットを誰にも見つからないように隠した。悔しかったのだ。僕のそれまでの努力が、裏切られた気がして。行き場のない想いをバットにぶつけ、忘れ去ってしまうことにした。野球を、それまでの努力を、なかったことにしたかった。
こうして、僕は野球をやめ、大事だったバットは大事でなくなった。
それから時間が経ち、忘れたはずのバットは再び僕の前に現れた。汗を吸ったバットはかつての僕の努力の結晶のようで、それに費やした時間の長さを物語っている。
グリップの傷は、いつかの僕がつけたものだ。練習はしっかりしてきたから打てると思っていた。大事にしてきたはずだった。
僕はバットを握りなおし、うろ覚えのフォームを作る。そして、あの日打てなかったボールを想像し、イメージの球場で大きくスイングをした。バットは鋭く空を切り裂き、僕の耳に懐かしく響いた。
もう一度、スイングをする。空を切る。
また、スイングをする。鋭い音が響く。
いつかの日のように、何度も、何度も繰り返した。